【新橋駅】再開発で消滅間近「ニュー新橋ビルと新橋駅前ビル」昭和・平成と新橋を支えてきたビル。

新橋と言えば昭和の時代から「サラリーマン天国」として賑わい現在も飲み屋や繁華街が所狭しと並んでいますが、汐留や虎ノ門といった新しい再開発地区や変貌の続く銀座に囲まれて、少し時代に取り残されたような街並みが広がっています。

その新橋のシンボルである西口のニュー新橋ビルと東口の新橋駅前ビル再開発の可能性が出てきたとのことで、急遽見てきました。

新橋駅前

中央の黒い建物が『ニューしんばしビル』駅を挟んだ左側、UCの看板のあるビルとその左にある同じデザインの建物が『新橋駅前ビル』です。

新橋駅周辺の再開発の現時点での状況(2022年8月)

新橋駅前の再開発に関しましては、「ニュー新橋ビル」を含む西口と、「新橋駅前ビル」等を含む東口にそれぞれ再開発準備組合が設立されています。

現時点で閉館や解体予定は具体的には発表されていませんが、一体で再開発する検討区域については公表されています。

新橋駅の両側に高層ビルができるということになるのでしょうか。

SL広場に面したニュー新橋ビルを含むエリアについては『新橋駅西口地区市街地再開発準備組合』が設立されています。事業協力者に野村不動産とNTT都市開発が選定されています。

また、東口については事業協力者に三井不動産が選定されているということです。

新橋の顔であるニュー新橋ビル

新橋の烏森口の前にあるのが、ニューしんばしビルです。1971年(昭和46年)にオープンし、地下1階から4階までが店舗になっています。内部にはエスカレーターもあります。そこから上はオフィスビルになっています。

「サラリーマン天国」新橋の顔とも言える建物ですが、再開発が予定されています。普通の雑居ビルではない、ニューしんばしビルとは、どのようなビルなのでしょうか。

ニュー新橋ビルの独特な外観

烏森口から見たニューしんばしビルです。

ニューしんばしビルの外壁はこのように不思議な格子になっており、3階の『カフェ・カトレア』からはこの格子のようなデザインを通して新橋の街を眺めることができます。

 

動画での「ニュー新橋ビル」の様子です。

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貴重な昭和の空気 ニュー新橋ビルの内部

1階の地図です。中央の通路はチケット売り場が集積していて、新幹線の切符や劇場のチケットなどをサラリーマン達が物色しています。随分と賑わうゴチャゴチャしたチケット屋さんと、看板は綺麗でチケットは整然と並んでいても閑散としたお店があります。

新橋駅に面した部分は、全て洋服の青山になっています。お直しの受け取りは4階となります。

オフィス棟へ続くエレベーターです。大きなテナントはなく、細かく区画が分かれて入居しているようです。

2階に上がってみると、マッサージ店が多くありました。どの店もアジア系の女性がお店の前で数人暇そうに立っていて、お客さんが通ると「お兄さんマッサージ」と声をかけるのは、まるでアジアの裏通りのようです。前の男性は慣れたように無視して通り過ぎて行きました。

このフロアはいるだけで全女性の注目を集めるのでカメラを構えることができていません。

3階に移動します。

3階のティーラウンジ、カトレア。ニュー新橋ビルの完成時からある喫茶室で、お店の様子も昭和にタイムスリップしたような様子です。

スマホが無ければ「今って昭和何年でしたっけ。」「今年は昭和54年だよ」なんて会話が聞こえてきても違和感がなさそうです。

3階のマップです。レストランから事務所まで、多様です。

ニューしんばしビル 4階と屋上へ

4階に上がってみます。外の光が見えてきました。

4階のマップは随分と新しいです。東京囲碁会館、麻雀サロンなど、なかなか普通のショッピングセンターでは見かけないものもあります。ニュー新橋ビルはショッピングセンターであり、雑居ビルであり、趣味の集まりの場でもあるようです。

階段の表示やタイルから昭和が伺えます。急速に人々の嗜好やテクノロジーが変化してきた平成の東京では、多くの古い建物が取り壊されてきました。

「お前がやったんだな」「仕方なかったのよ」なんて昭和の刑事ドラマに出てきそうな屋上です。

背景には対照的に未来都市のような汐留のビル群が見えています。

ニューしんばしビル 地下階へ

地下1階です。

飲食店が多くあります。サラリーマン天国と言われる街を支えてきた昭和のサラリーマン達は次々と退職し、新橋という街を後にしてしまいました。

今の若い人たちがどの程度、会社帰りにスナックに立ち寄ってお金を使うのか、定かではありません。大人の遊びやお酒の飲み方を教えてくれる上司がいなくなり、スマホの登場もあり、そういった時間を過ごす若者は減っている可能性もあります。

地下一階の地図

開業時からある喫茶フジです。

SL広場から見たニューしんばしビル。

2023年完成を目処に高層ビルへの再開発が予定されているとの計画が発表されています。

しかし現在はテナントが空いている訳でもなく、これから撤退、取り壊しと高層ビルを建てるのであれば、結構な時間がかかりそうです。

新橋駅の烏森口周辺

ニュー新橋ビルは新橋駅の南西側にある「烏森口」に面しています。ガード下には呑み屋・レストランなどが軒を連ねています。

繁華街が続いているのは神田にも似ています。一流企業、外国人、高級と洗練、、といったイメージが拡大する港区の中で、サラリーマンの欲望や愚痴を優しく受け入れてくれる落ち着く街(だった?)ともいえます。

とはいえ、この新橋も拡大する港区のイメージに飲み込まれ始めています。

100年以上続く高架下にはレストランが並んでいます。現在私たちが使う新橋駅は、1909年に「烏森駅」として高架鉄道が開業した始まりです。

1872年に開業した初代新橋駅はその後「汐留駅」に名称を変え、のちに廃止されています。昔はヨーロッパのように新橋が南方面、上野が北方面のターミナルになっていたのですね。

SL広場はただ佇んでいるだけでも面白いです。

新橋駅はこの烏森口の他に、日比谷側の日比谷口銀座口、他にゆりかもめや汐留に繋がる地下通路のある汐留口があります。

次は駅の反対側にある、同じく解体予定の『新橋駅前ビル』へ向かいます。

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新橋駅前ビル

烏森口にあるニュー新橋ビルの反対側、汐留口に要塞のように建っているのが、新橋駅前ビル1号館と2号館です。汐留と新橋駅をブロックするかのように横たわるビルは、1966年に開業。ニュー新橋ビルよりも、5年早く開業しています。

ニュー新橋ビルと同様、新橋駅前ビルも2022年までに解体が予定されています。

臨海部への輸送ルートとなる交通システム「ゆりかもめ」の始発駅がある新橋駅汐留口です。

築地市場の移転後の再開発や、オリンピックの選手村跡地のマンション「晴海フラッグ」の販売、タワーマンションが次々と建設され、今後も中央区や江東区の人口増が予想されています。

臨海部からのアクセスを支えるには、更なる交通機関(地下鉄やBRTなど)が必要と言われており、そのBRTの玄関口として新橋駅周辺が予定されています。

この新橋駅前ビルは湾岸エリアへの新たなバスターミナルなどを含む大規模な再開発になることが考えられますが、新橋駅前ビルは区分所有者が300人以上もいるとのことで、なかなか合意が難しいようです。

安っぽさがなく、とても重厚感のあるビルであることが分かります。

裏口です。この壁の深緑〜濃茶のレンガはよく見かけますが、昭和40年代頃に流行っていたのでしょうか。

2階は数件の飲食店があるだけで、殆どが事務所になっていました。

新橋駅の汐留口の地下街から見た新橋駅前ビルの入り口です。新橋と汐留を結ぶ途中にあり、利便性の高い立地です。

新橋駅前ビルの1階の呑み屋街です。B1も同じように飲食店が多くあります。新橋駅前ビルは地下で駅に直結しているという強みはあるものの、駅の反対側にあるニュー新橋ビルに比べると、人は圧倒的に少ないです。お店が少ないことや、立地が原因かと思われます。

さいごに

新橋の賑わいを支えてきたサラリーマン達が定年で新橋を去り、新しい世代を迎えるに相応しいビルに建て替えていく。それが東京の進化の仕方なのかもしれません。

昭和の光景が少なくなっていくのは残念ですが、私の私感では今の日本人の傾向として江戸時代のものは好きでも、昭和のものにあまり愛着を感じる段階には無いように思います。地震がある日本では耐震補強の基準も変わり、人命第一ということで仕方がないのかもしれません。

新橋の変化の原因は、マッカーサー通りにあり?

新橋を語るときによく言われるのが、マッカーサー通り(新虎通り)の開通で街から活気が消えて行ったということです。この東京の臨界部と虎ノ門方向を結ぶ新しい通りは、新橋駅から浜松町まで続いていた数々の裏通りを分断しました。

非常に道幅の広い通りで、隅々にまで日が当たるようになってしまったのです。

以前Yahoo!ニュースになっていたときに非常に興味深かったのが、多くの人が飲んで帰ろうと思ってもあの広い道路を渡ると冷めてしまい、駅へ直帰するようになったというコメントの数々です。人が快適に思う「隅っこ」「隠れ家」がなくなってしまったのです。

街というのは生きているのだなということをつくづく感じました。そして街が人の心理に与える影響も大きいものです。

関連リンク

新橋と臨海部を結ぶBRT計画(東京都都市整備局)

新橋駅再開発・ニュー新橋ビル、新橋駅前ビル(東京都都市整備局)